Children's World (Re-Post)
子供達は無邪気だ。
一般的にはそう言われる。
ただ、無邪気ゆえの悪意ない言葉が第三者を傷つけることもある。そして、その悪意ない言葉を浴びせられた子供もまた、無邪気ゆえにその言葉を正面から受け止めてしまい、その言葉の重さに負けてしまうこともよくある。
負けてしまった彼らを見た大人達は大人達の価値観で騒ぎ始める。それは負けてしまった彼らを救うためなのだろうか。それとも負けてしまった彼らに対して救うことができなかった自分達への贖罪なのだろうか。
子供達は無邪気だ。
世間的にはそう言われる。
かつて子供だった私はその無邪気ゆえの言葉に傷つけられたこともある。そして、その言葉の後遺症は今でもまだ、不意に蘇ってしまい、その言葉の重さに苛まされることもたまにある。
傷つけられた自分を顧みた自分は自分の価値観で思い返し始める。それは傷つけられた自分を正当化するためなのだろうか。それともあの時行動できなかった自分に対して動けなかった自分への後悔なのだろうか。
そんなことを考える。
他人はどうなのかは知らない。
ただ、思い返して言えることは、あの頃の私は無邪気ゆえの言葉に傷つけられて、その無邪気ゆえの言葉に反骨することで強くなろうとしていた。おそらく今の自分に至るまでのそれはそんな精神によって創られていたのではないか。
そんなことを考える。
負けてしまった人は責めない。
ただ、振り返って言えることは、子供の無邪気ゆえに強くなろうとした私は、大人達の価値観というぬるま湯につかることで、強くなることよりも負けてしまうことを恐れてしまったのではないだろうか。
大人になってしまった私が子供の頃に強くなるためには子供の無邪気さが必要なのではないか。
そんなことを考える。
(※2017/06/18 投稿分を再掲)
<Source of photo : cottonbro studio from pexels>