Time Stream (and Level Up)
『時が流れるのは早いものだ』
人はそんなことを口にする。
例えば"1年"。
それは誰にとっても等しく平等な時間である。
けれどもその1年間は10歳の子供にとっては人生の10%を占めるが、50歳の大人にとっては人生の2%に過ぎない。
とても長く感じられた”1年”という時間は、次第に僅かな時間にしか感じられなくなっていく。
そんな話を聞いたことがある。
◇
『時が流れるのは早いものだ』
その言葉は得てして消極的に、時には悲観的に発せられることが多い。
しかし視点を変えてみれば、ちょっと違った見え方をするのではないだろうか。
◇
『時が流れるのは早いものだ』
1年前を思い返して、貴方はそう呟いた。”1年”は早く過ぎ去ってしまった。そう感じたから、そう呟いたのだろう。
何と比べてその"1年"は早かったのだろうか?
例えば貴方が50歳だと仮定しよう。
前に述べた通り、その"1年"は貴方が今まで生きた時間の2%に過ぎない。
10歳の子供にとっての"1年"とは、人生を占める割合で比較するならば5分の1だ。
50歳の貴方は、10歳の頃の貴方を経験している。
だから、今過ごした"1年"は、かつて感じた"1年"の5分の1で終わってしまった。5倍のスピードで過ぎ去ってしまった。
そのように感じたから、貴方はこう呟いた。
◇
『時が流れるのは早いものだ』
でも、時の流れは誰にとっても等しく同じであるから、5倍のスピードで流れるなんてことはないはずだ。
もしそんなことがあるとすれば、50歳の貴方が50mを10秒かけて走れるとしたら、10歳の彼は2秒で走れてしまうことになる。
時の流れの加速と同じペースで貴方が衰えているのであればそうなのかもしれないが、もし本当にそんなことがあるとしたら、50歳の貴方は10歳の子供に全く敵わないということになってしまう。オヤジ狩りされ放題の世の中である。それはつらい。
だから、時の流れは誰にとっても等しく同じであるので、5倍のスピードで流れるなんてことはない。
では何故そのように感じてしまうのだろうか?
それは貴方がこれまで過ごした人生を常に同じ量だと認識してしまっているからだろう。
ロールプレイングゲーム風に例えてみる。
貴方は1年で1,000の経験値を得る冒険者である。
50歳の貴方は5万の経験値を持っている。10歳の彼が持っているのは1万の経験値だ。
それから1年間の冒険を終えて、また1,000の経験値を得た。10歳の彼はその経験値でレベルアップしたが、50歳の貴方がレベルアップするにはたった1,000では心許ない。
自分がレベルアップしなかった理由はすぐに理解できるだろう。
でも、現実には自分が持っている経験値を定量化して認識する方法はない。
それに人間は過去を適度に忘れてしまう生き物である。
貴方は5万の経験値を持っているはずなのに、その事実を忘れてしまっている。10歳の時に持っていた1万の経験値と同じような気分でいる。
1年間で得た1,000の経験値は10歳の時のように貴方へレベルアップをもたらしてくれる。実際には5万の経験値を持っている貴方はそう思っていたのにレベルアップしない自分に気付く。
1,000の経験値が1年間で得られるはずなのに、これでは200くらいしか経験値が入っていないじゃないか―
◇
『時が流れるのは早いものだ』
不意に口から出てくるこの言葉は、きっとそんな無自覚と忘却による産物なのだろう。
それなら、いっそのこと考え方を変えてみたらどうなるだろうか。
「1年間で1,000の経験値が入るはずなのに200しか入った気がしない」のではなく「経験値が200しか入った気がするので1/5年経ったということだろう」と。
上で書いたことを早速否定するようなことになってしまうが、時の流れは絶対で平等であるという事実を一旦忘れて自分の感覚の方を信じてみるのだ。
1年経ったと自覚するから物足りなく感じるわけで、1/5年、つまり2か月ちょっと経ったぐらいだと思えば、得られた経験値も相応であると自然に感じてくるのではないだろうか。
心と体は繋がっている。
ごく当たり前のことのように言われている言葉がある。
1年経ったと心で思うから体もそれに合わせて1年分の年を重ねていくわけで、2か月ちょっとしか経っていないと心で思っていれば体も2か月ちょっとしか年を重ねないのではないだろうか?
勿論常識的に考えればそんなことはあり得ない。
だけど、自分が得られる経験(得てきた経験ではなく)に重きを置いている人物は、言い換えれば好奇心旺盛な人物は、得てして若々しく見えたりしないだろうか。
絶対的である時の流れと相対的に感じる得られた経験値のギャップをただ嘆くよりも、それこそ10歳の子供のように新たに経験を得られることを楽しんだ方がずっと良い。
そんな心構えで日々を過ごすようにしていれば、ふと時の流れを思い出した時にはまるでゲームに没頭していた子供のようにこんな言葉を口にするのではないだろうか。
◇
『時が流れるのは早いものだ』